「豆屋とかち 岡女堂本家」は豆の本場・北海道十勝本別町より、こだわりの豆製品を手作りでお届けします。
豆類には炭水化物、タンパク質、ビタミン、ミネラル等の栄養素がバランス良く含んでいます。
また、食物繊維やポリフェノール等の機能成分もたっぷり。
豆を毎日の食事に取り入れて、健康な暮らしに役立てましょう!!
体は小粒ですが、栄養価の高いのが自慢の豆。ドイツでは「魔法の豆」、日本では「畑の肉」と呼ばれています。
5〜6月に出回るものを「枝豆」、梅雨から登場するものを「振袖大豆」、9月十三夜・豆名月のころの大豆を「鞍掛」…と呼びわけるようです。また、時代とともに呼び名も変化し、平安時代には「オオマメ」、徳川時代には「ケマメ」と呼んだと文献には書かれています。
黒船のペリー提督が土産に持ち帰った「日本豆」が、今のアメリカ大豆のこと。この豆を使った料理も多様で、おせち料理の煮豆・節分のいり豆・豆腐・納豆・ゆば・味噌・醤油の材料となるのはご存知の通りです。
豆の中の豆、豆のスターです。色つや美しく、華やかなこの豆は、お祝いごとや和菓子の材料としても大切な役割を担っております。
原産地の中国では、「赤豆」・「紅豆」と呼ばれておりますが、日本で「あずき」と呼ばれる由縁は、「赤粒木」の略語とも、訛化した語とも言われております。
あずきの炭化種子が縄文時代から古墳時代前期までの遺跡から発見されており、奈良時代初期の「古事記」にはじめて小豆という名が登場します。
大粒の大納言・小粒の小豆が、お赤飯や牡丹餅となり、甘納豆や落雁などとなって食膳に上がり、お茶時に姿を見せる日は、心がはずみます。
あずきの中でも最高級グレード。
とりわけ大粒なあずきの特定品種群は「大納言」と呼ばれています。
その名の由来は、大粒なだけでなく煮たときに表皮が破れにくい特徴を持ち、いわゆる「腹切れ」が生じにくいことから切腹の習慣がない公卿の官位である「大納言」と名付けられたとも言われています。
この花豆は、鮮赤色の大きな花を咲かせ、白花豆とは兄弟的な関係にあります。
と言いますのも、この豆の莢(さや)の中には、白花豆もまじることがあり、同じ遺伝子をもった豆であることがわかります。
同じ「ベニハナインゲン」の中では、生産量が少なく、幻の豆といわれております。
原産地は中南米で、世界中のさまざまな国で栽培されています。
ただ、この豆は冷涼性で、暑さに弱く暖地では盛夏に咲いた花はほとんど結実しないと言われております。
足利時代には「園豆」と書いたと言われる「えんどう」=豌は、園の豆と呼ぶにふさわしいキュートなお豆さんです。
原産地は西アジア。この豆には三種類の色があり、日本では、赤・白・青のうち、青えんどう豆が人気高。
栽培地として、北海道はじめ東北や北陸地方が多いのは、第一にこの豆が豆の中で、いちばん寒さに強い品種であること。
第二に、明治9年に開校した札幌農学校に、米国えんどう豆が入ったのも理由のひとつとか。
「ジャックと豆の木」の童話とともに、えんどう豆は世界の人々に広く愛されています。
色が赤くて濃いため、坂田公時の幼名をいただいた金時豆です。
金時豆は、いんげん豆の代表的な種類です。
北海道で栽培されているいんげん豆のうち金時豆が約7割を占めています。
いんげん豆は、紀元前4,000年頃メキシコの洞窟の中で発見されたようで、日本へは17世紀に中国の隠元(いんげん)禅師によってもたらされたことにより「いんげん豆」と呼ばれるようになったようです。
豆の中では一番遅く種を捲くが一番早く収穫できるという特徴が農家に好まれ、また、その優れた食味が大きく評価されております。
手亡は種皮の色の白さから大福豆などとともに白いんげん豆とも呼ばれてます。
明治時代に十勝地方で栽培されたのが始まりで、大正時代には網走・上川地方へ普及し、かつては輸出作物として急速に生産量を伸ばしました。
当初、「新白(しんじろ)」とも呼ばれ、半蔓性で支柱にする手竹がいらないことから、「手亡」の名が付いたとされます。
手亡は白色の美しい豆で、大部分が白餡(しろあん)に使われます。
他の豆類と違い、直接料理に使用されることはほとんどありません。
大豆は、現在、沖縄を除き全国的に栽培され、一般的なものは黄大豆ですが、青大豆、「黒豆」と呼ばれる、この黒大豆などがあります。
大豆は、中国では、米・麦・栗・黍(きび)又は稗(ひえ)とともに五穀の一つとして数千年も前から栽培されてきました。
朝鮮半島を経由して日本に伝わったのは、弥生時代の初期とみられています。
豆粒がはるかに大きい「そら豆」等を差し置いて「大豆」と呼ばれるのは不思議な気もしますが、当時は単に豆と言えば大豆のことを指すほど重要視されていたため「大いなる豆」「大切な豆」との意味でこのような表記になったと言われています。
この花豆は、インゲン属の中の「ベニハナインゲン」のことを言います。
鮮赤色又は白色の大きな花をたくさん咲かせるのが特徴で、それが名の由来ともなっています。
赤花の子実は紫の他に黒色の斑が入っており「紫花豆」と呼ばれ、白花のものは子実も白色をしていることから、この豆である「白花豆」と呼ばれています。
花豆の種子が日本に伝わったのは、江戸時代の末期ですが、花が大きくきれいなため、当時はもっぱら観賞用に栽培されていました。
食用としての栽培は、明治時代になってから札幌農学校で始められ、本格的な栽培は大正時代に入ってから行われました。